自分が自分らしく発揮できる場所としての専攻科があればその後の人生に変化があると思えてなりません。
専攻科の設置はこのことが原点になりました。
現実に卒業を控えた三年生の保護者が留年を希望したり、涙を流しながら振り返り振り返り帰っていく卒業式後の卒業生の姿はけっして「卒業おめでとう。」では済まされない問題として我々教職員の胸を痛めました。
専攻科はこのような経緯を経て、教職員一人一人の胸の中で暖められていたものが一気に設置に繋がったものです。
本校の専攻科では多くの体験の中で、より豊かな青年期教育を目指し、主体的に取り組むことができる人間の育成を基本としています。
豊かに生きることは各個人により様々であり、これでなければという答えはなありません。
画一的なものはなく各個人により目標も異なります。
今までの自分を振り返り新しい自分をつくることが今後の人生を考えれば重要と思われます。
自分が主体的に「生きている」ことを味わい、「社会の中で役立つことが出来る。」と言う自信を持てば「働くこと」の意義を見つけることが出来るのだと確信しています。
専攻科の中で孤独と連帯を折り混ぜて経験し、ひとまわり大きな青年となって社会に羽ばたいていければ、回り道でも社会参加の先送りでもない彼等にとって必要な時間ではないでしょうか。
今年の専攻科一期生で本校出身の学生は遺憾なくこの姿を見せてくれています。
あの無口で何をしても文句を小声で言いながらも反対とは言えないで、威張っている同級生にさえ小さくなっていた生徒が、専攻科入学以来欠席もなく夏登山にも参加し、自分から授業の提案をして生き生きと学生生活を満喫しています。
三年間教科担当をしていた女性教員は、これがあの生徒?と感嘆の声をあげ、保護者は、毎日いそいそとたのしげに学校に行っていると話をしてくれました。
専攻科のどの授業が有効ではなく、改めてゆっくり、じっくりと考えて多くの青年らしい経験をしていくことが如何に大切かを考えさせられました。